略  歴
1954年沖縄県嘉手納町生まれ。沖縄民謡歌手。初代ネーネーズのリーダー。基地の町に生まれ、幼少の頃から沖縄民謡に親しみ、小学生から舞台に立つ。9歳でレコードデビュー。

1986年より坂本龍一のプロジェクトに参加(レコード、ツアー)。'90年から沖縄ポップグループ「ネーネーズ」リーダーとして参加し、6枚のアルバムなどを発表。'95年ネーネーズを脱退し、1996年よりソロ活動を再開する。特に伝統的な民謡や情け唄と呼ばれるしっとりとした情感を込めた島うたを得意とする。また、唄以外にも作詞や、三線、琉琴、指笛、三板、太鼓などの楽器演奏もこなす。

ソロ活動再開後は、コンサート(唄会)のほか、坂本龍一のオペラ「LIFE」(1999年)出演、アイルランドの国宝級アーティスト「チーフタンズ」のアジアツア(2001〜2002年)に参加するなど、国内海外のミュージシャンとも共演多数。

2000年には初の本格的ソロアルバム「天架ける橋」を制作、2001年一般店頭発売。「21世紀の沖縄音楽の夜明けを告げるアルバム」と絶賛される。また、その中にも収録されている自作詞の「童神(わらびがみ)」(1997 作)は、新しい沖縄を代表する子守歌としてブームを呼び、「夏川りみ」「山本潤子」「花*花」「加藤登紀子」など数々の歌手によってカバーされている。

2004年には「モンゴル800」のアルバムに特別参加(唄・三線)するなど、その活動は多岐にわたっている。最新CDシングルは2005年発表の「黒い雨」「黄金ん子」。また、ソロ活動以外にも初代ネーネーズの宮里奈美子、比屋根幸乃と共に「さんさら」を結成。

また日本の権威的学者や音響研究者の研究発表により「古謝美佐子の声は、人を癒したり健康を促進する『高周波』と『ゆらぎ』を同時に持つ希有の存在である、ということが証明される。作家の五木寛之氏が、「いま最も凄い歌手」と絶賛する。現在も沖縄県在住。

 
主  な  年  譜
1954
基地の街、沖縄県嘉手納町に生まれる。
1956
2歳頃より、母の妹 吉味トヨの影響などで沖縄民謡や沖縄芝居に親しみ、独学で唄や三線にいそしむ。
1959
5歳頃より、一回り上の親戚 知念節子に三線等を教わり始め、この頃既に初舞台を踏む。
以後、民謡歌手、津波恒徳と石原節子に師事する。
1963
9歳の時、マルフクレコードよりシングル「すーしーすーさー」でデビュー。このころよりステージなどに頻繁に立ち始める。
1966
中学生時代より「なんた浜」などの民謡クラブのステージに立つ。
その後沖縄を中心に公演などを多岐に渡りこなす。
1978
24歳の時、沖縄民謡紅白唄合戦に初出演。また、民謡クラブなどに出演しつつ、沖縄ローカル局のラジオ・テレビ番組等で活躍。
この頃、前川守賢とのコンビ等で多数のレコードを吹き込む。
1986
坂本龍一氏のプロジェクトに参加。その後、我如古より子、玉城一美と共に『オキナワチャンズ』として、レコードやライブに参加。
1991年頃まで国内のみならずワールドツアー等にも参加する。
1990
知名定男氏プロデユース、佐原一哉サウンドプロデユーサーのもとに結成された沖縄民謡女性コーラスグループ『ネーネーズ』にリーダーとして参加。6枚のアルバムと数枚のシングルを発表。また,数々の国内海外公演やレコーディングも行う。
1995
12月、ネーネーズを脱退。翌年より佐原一哉とソロ活動を再開。
1996
6月、役者として歌劇『チルー』に主演。
1997
12月、ネーネーズ脱退後,初の「自家製」シングルCD「童神」を発表。作詞も本人が手がける。(但し本盤はライブ会場のみでの発売)
1999
9月、坂本龍一オペラ「LIFE」(東京、大阪)にソロ歌手として出演。
2000
11月、CDアルバム「天架ける橋」(限定発売バージョン)発表。
2001
5月、アイルランドの国民的バンド「チーフタンズ」と共演(東京・大阪)。
6月、「天架ける橋」(DISC MILK/DM002)を一般発売。
2002
チーフタンズとのアジアツアーなどジョイントコンサート活動。「童神」は、NHKのちゅらさんなどで大々的に取り上げられたほか
山本潤子、花*花、夏川りみにカバーされ、幅広く歌われる。
2003 ソロコンサートの他、夏川りみとのジョイントコンサートなどで全国を回る。
2004 モンゴル800のアルバム「百々」に唄と三線で参加。
2005 シングルCD「黒い雨」を7月一般発売。「黄金ん子」もライブ会場限定発売。
初代ネーネーズの宮里奈美子、比屋根幸乃と共に「さんさら」を結成。
2006 元ハイファイセットの山本潤子さんと「童神コンサート」を全国45箇所で公演。